その喪失を悲しむために:米津玄師「Lemon」と喪の作業

 

 米津玄師さんの「Lemon」 のYouTubeが再生回数4億回を突破したというニュースを見ました*1。曲がリリースされたのは2018年の3月ということなので、1年以上経ってもなお多くの人が熱心に聴いていることになります。

 

 この曲には、製作中に米津さんの祖父が亡くなったというエピソードがあるようです。その衝撃的な実体験が曲作りに影響し「あなたが死んで悲しいですってことを4分間ずっと言ってるだけの曲になって」「ただひたすら自分の気持ちを吐露するだけの曲」になったとインタビューで語っておられました*2。

 

 この曲がここまで多くの人を惹きつけるのは、その美しく胸を打つメロディや歌詞だけでなく、この曲がまさに「悲しみをひたすら吐露する」ものであるということも1つの要因なのかもしれません。

 

 

 心理学の用語に「喪の作業」という言葉があります。これは「モーニングワーク」を日本語に訳したものですが、人が大切な対象を失ったときに生じる心のプロセスのことを意味し、以下のような段階を経るといわれています(段階を移っていくというよりも行きつ戻りつする過程といえます)。

 

1.無感覚:ショックで茫然自失、無感覚になる
2.否認・抗議:現実を受け入れられず空想の中に対象を求めたり、後悔、罪悪感、怒りなどが沸く
3.断念・絶望:失ったという事実に絶望し、抑鬱、無気力となる
4.離脱・再建:現実を受け止め、少しずつ前向きとなり、新たな生活をしていく

 

 この「喪の作業」で大事なことは、無理をして気持ちを押し殺したり前向きになろうとすることでプロセスを止めてしまわず、各段階を十分に体験していくことであると言われています。

 

 「悲しみをひたすら吐露する」という「Lemon」は、まさにこの「喪の作業」のプロセスをただただ「ひたすらに」歌い上げている曲であると言えるでしょう。そして、この曲がここまで人々に愛されるのは、聴いた人の心の奥深くに隠れている、十分に体験しきれずにいた「喪の作業」を刺激するからではないでしょうか。

 

 「喪の作業」は近しい人の死だけでなく、他の大事なものを失った体験においても当てはまるプロセスであるといえます。残念ながら、私たちは生きる過程で多くのことを断念しなければなりません。 例えばそれは大切な誰かであったり、思い描いていた自分の未来や理想像であったり、何よりも欲しかった現実であったりするでしょう。そして、そのうちのいくつかは、その痛みを押し殺したまま煩雑な日常に戻らざるをえなかったりするものです。

 

 「Lemon」を聴いて胸を痛めるとき、私たちはそうやって押し殺したままにしてきた痛みも思い出して胸を痛めているのかもしれません。「Lemon」は私たちの中断していた「喪の作業」をも引き受けて、悲しめなかった喪失を悲しめるようにしてくれる、そんな曲なのではないかと思います。

 

 

文学や音楽などの芸術作品の中にも、芸術家たちの悲哀の心理過程の表現が豊かに見いだされる。これらの作品を読み、音楽に聴き入ることを通して、われわれはそれぞれの悲哀の心理過程を芸術家たちと共有し、その助けをかりてより意味深いものとして体験し推敲してゆく。 『対象喪失ー悲しむということ』(小此木啓吾)*3

 

 

 

*1:「米津玄師、“Lemon”MVが4億回再生を突破-rockinon.com
*2:「米津玄師が「Lemon」に込めた想いとは? ドラマ『アンナチュラル』と特別ネット番組から紐解く
*3:『対象喪失ー悲しむということ』小此木啓吾(中公新書)

 

 

2019年06月20日|ブログのカテゴリー:心理学, 文化