COVID-19の感染拡大がはじまってから1年以上が経ちました。
多くの人が述べている通り、COVIT-19は「人との繋がり」に強く制限をかける感染症です。この約1年のあいだ,人と会わず「1人でいる」ことが増えたという話を見聞きした方は多いのではないでしょうか。
しかし、人間は集団を作り社会を作る―「密」になるーことで発展してきた動物です。そんな私たちにとって、人と繋がることに制限をかけるコロナ感染症は、人間としての生態や社会、そして文化を脅かすウィルスでもあると言えるでしょう。
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以前もブログで紹介した精神分析家であり小児科医でもあったウィニコットの言葉に「ひとりでいる能力(capacity to be alone)」というユニークなものがあります。
「ひとりでいる」ことは能力のある・なしとは関係ないように思うかもしれません。しかし、彼の示しているのは、「ひとりでいる」もしくは「誰かといる」という外的な現実状況とはまた別の、心理的水準としての「ひとりでいる」という体験です。ここにはウィニコット独自の意味合いが込められています。
「ひとりでいる能力」に込められている意味は、1つは文字通り「ひとりでいることができる能力」というもので、もう1つは「誰かと空間をともにしながらも、ひとりでいられる能力」というものです。
1つ目の「ひとりでいることができる能力」とは何でしょう。ここで言われているのは、ただ物理的に1人になるということではありません。1人でいながらも、ひとりでいることの不安や孤独、寂しさに押しつぶされることなく、心の中にある大事な人の存在によって支えられているという感覚をもつことが出来る、ということです。
では、もう1つの「誰かと空間をともにしながらも、ひとりでいられる能力」とはどういう意味なのでしょうか。それは、誰かと同じ空間で過ごしながらも、その誰かの存在に圧迫されたり脅かされることなく、くつろいだ状態で過ごすことが出来るということを意味します。
どちらも、何か自分を脅かすもの(自分の内側の不安や孤独、もしくは、外部にある他者の存在)に圧倒されず、穏やかにくつろいだ状態で、ひとりのびやかに「いる」ことである、とまとめられるでしょうか。
ウィニコットは、この「ひとりでいる能力」を健康と成熟の基盤であると考え、また、この状態のときにこそ人は実在感のともなった自分らしい体験ができると考えました。彼は著書に、それまでの精神分析理論では「ひとりでいること」のネガティヴな側面ばかりが強調されてきており、ポジティヴな側面が疎かにされてきた、と述べています。彼は「ひとりでいること」に,物理的状況とはまた別の心的な意味付けをするとともに,そこに肯定的な意味を見出したといえるでしょう。
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先に述べたように「密」に集団や社会を作ることで発展してきた私たち人類にとって、「1人でいること」にはどうしてもネガティヴなイメージがつきまといます。
しかし、上記に書いたとおり、「ひとりでいること」が内包する意味というのは決してネガティヴなものだけではありません。「ひとりでいる」状態に直面せざるをえない状況が増えているコロナ禍の今、このウィニコットの「ひとりでいる能力」という概念は、私たちに今の状況を乗りこえるためのヒントを与えてくれるのではないかと思います。
注)「capacity to be alone」は「ひとりでいられる能力」と訳されることもあります。
<関連記事>
・当サイトブログ記事『「ほどほど」であるということ:ウィニコットの「ほどよい母親 Good enough mother」』
【参考】