先日、勤務先の精神科医と話していた際、医師が「患者さんの中には、コロナによる自粛期間前後の記憶が曖昧になっている人がいる」と言っていました。
一人の医師が日々の業務で感じた印象なので真偽の程は定かではありませんが、患者さんや身近な人との会話をふりかえってみると、たしかに新型コロナ感染症が拡大していった経過の時系列などが曖昧となっている人は一定数いるように感じます。その医師曰く「コロナ禍におけるストレスの影響で記憶が不確かになっているのでは」ということでした。
ストレスによって記憶が不確かになることがあるのか?という疑問がある方もいるかもしれませんが、ストレスと記憶の関係はさまざまに研究されています。
ストレスは適度であれば記憶を促進しますが、過度なストレスが慢性的に続くと記憶を阻害することが分かっています。また、慢性的でない1回限りの出来事であっても、それが極度のストレスを伴う場合、その記憶が曖昧となることは珍しくありません。記憶は、私たちの心の状態の影響を受けるものなのです。
精神分析には「事後性」という考えがありますが、これもまた記憶と心の関係にまつわる概念です。「事後性」とは、過去の経験や記憶がそれより後の新たな経験によって修正され、新たな意味や心理的な影響をもつようになることを言います。
これは精神分析の祖であるフロイトによって提唱されました。彼は、そのように修正される経験というのは、起こった当時には出来事の意味を理解することが難しいような体験であり、その典型的なものは外傷的=心理的な傷となる体験であると考えました。
たしかに、傷つくような体験の渦中にあると、自分に何が起きていて、それが自分にどのような影響を与えたのかをうまく理解できない場合があるものです。そして、数日、数か月、数年の後、ふとしたきっかけでその体験が一体どのようなものだったのかを理解したとき、その体験の意味は変化します。あのとき確かに自分は傷ついたのだと気づくかもしれませんし、相手に対して初めて怒りが沸くかもしれません。
実際、カウンセリングにおいてもその経過のなかで、過去の経験や記憶に対する捉え方や意味付けが変わることがあります。これは過去の再発見、もしくは過去の再編成とも言えますが、自分自身の理解について新しい視点をもたらす大事な転換でもあります。
このように、記憶というものは、客観的な過去の「事実」の蓄積で固定的な変化しないものではなく、変化していく余地のある、動的なものであると言えるでしょう。それは心もとないことでもありますが、ある種の希望のようなものにも思えます。いずれ、コロナ禍という体験が私たちにどのような影響を与えるのか、その記憶がどのようなものになるのかは、もう少し時間が経過しないと分からない部分があるかもしれません。
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