人から薦められて『すべてはモテるためである』という本を読みました。著者の二村ヒトシさんはAV監督ですが、解説は東大入学式の祝辞で物議を醸した社会学者の上野千鶴子さんが書いており、巻末には気鋭の哲学者である國分功一郎さんとの対談もおさめられているという異色な本です。
その巻末の対談のタイトルに「この本は、単なるモテ本ではない。実践的かつ、真面目な倫理学の本である」とある通り、この本は一見「モテる」ためのハウツー本のように思えますが、単なるモテ本でないことは冒頭ですぐに分かります*1。
冒頭で、著者はまず、膨大な例示とともに「なぜモテたいのか」「どういう風にモテたいのか」という問いを読者に突き付けます。
なんでこんなことを最初に書くのかというと、自分が「どういうふうにモテたいのか」そして「なぜモテたいのか」を考えることは【自分で自分の欲望のかたちを把握する】ということで、これはひじょうに大切だからです。
「自分はナニがしたいのか?ほんとうはナニが欲しいのか?」こそが「自分はナニモノなのか?」ってことであり、人間は、それをある程度自分で理解できてないと「相手との関係をどうしたらいいか」わからなくなって困ってしまうことがあるからです。
「なぜ?」「どのように?」というのは確かに本質的な問いであり、これらを突き詰めて「自分の欲望」について知るということは、モテだけではなく他の事柄においても大事なことではないかと思います。ここが分からないと、「相手との関係をどうしたらいいか」分からなくなってしまったり、本当に欲しいものとは別のものを求めてしまったりして、遠回りをすることになるのではないでしょうか。
実際、カウンセリングにおいても、この「自分の欲望のかたち」がポイントになってくることがあります。「欲望」という言葉は、「自分が何を欲しているか」と言い換えてもいいでしょう。私たちは、これまでの人生の経過において、どうしても自分を押し殺してきたり誤魔化してきたりする部分があるため、時に、本当は「自分が何を欲しているか」が分からなくなってしまうことが生じます。そこを徹底的に見つめて「自分の欲望」に気づくことで、新たな道が開けてくることは少なくないように思います。
追記:二村さんは別の著書では「親は子どもの心の必ず穴をあける」ことについて書いているとのことで、以前のブログ記事『損なわれた自我と共に生きる(村上春樹の閉じられたサーキットと井戸掘りのこと)』に引用した村上春樹の言葉と通じるものを感じました。こちらの書籍*2もいつか読んでみたいと思います。
*1:ただ、語り口は非常に軽妙で、性の赤裸々な単語や話題も含まれます。そして実践的なノウハウも書かれてはいます。
*2:『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』二村ヒトシ(イーストプレス)