カウンセリングを受ける時、準備というものは必要でしょうかというご質問を頂くことがあります。
基本的には特に準備はいらないことをお伝えしていますが、初回のカウンセリングについてはほとんどのカウンセラーが同じように答えるのではないでしょうか(継続的なカウンセリングになると、認知行動療法などでは次回までにやってくる課題などが出されることもあります)。
カウンセリングを受けるにあたって何か準備が必要なのではないかという考えは、多くの場合、カウンセリングで何をどのように話せばいいのかといった心配や、うまく話せるだろうかといった不安から出てくるもののように感じます。相手が専門家とはいえ初対面の人に自分の内面について話すというのは勇気のいることですから、このような心配が生じるのも当然でしょう。
そもそも「話す」ということは偶然に左右されるものです。文章にして伝えることと違って、その場でどのように「話す」のかはその時になってみないと分かりません。話す内容やどう話すかを事前に考えていても、その通りに出来ることは少ないでしょうし、相手の反応や質問に影響されて、思わぬ方向に話が進むこともあるでしょう。「話す」ことは生ものであり、コントロール不可能な部分がどうしても出てくるものなのです。だからこそ、カウンセリングにあたって何か準備をしたいという気持ちになるのかもしれません。
それでもカウンセラーが準備はいりませんとお伝えするのは、準備されたものではない、生身のその方とお会いすることに意味があると感じているからではないかと思います。思ったように話せなかったり、逆に思わぬことを話していたりといったコントロールできなかった部分にその方をより理解するヒントが隠れていることもあります。「話す」ことにまつわる偶然性がもたらすものに開かれておくことを大事にしたいからこそ、私たちカウンセラーは「準備はいりませんよ」と伝えるのではないかと思います。
ただ、準備はしなくてよいと言われても、何を話そうか、どう話そうかといつの間にか考えていることもあるでしょう。それもまたコントロールできないものだと思います。でも、そんな風に、気が付くと何か考えていたり思いを巡らしていたりするのは、ある意味、心が内的な準備をひっそりと始めていることのあらわれなのかもしれません。
カウンセリングにいらっしゃる方は、どうぞ、そのままお越しください。「話す」ことの偶然性がもたらすものを一緒に見て、考えることが出来ればと思います。
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